題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

アダルトチルドレン②


ACの克服法では必ずインナーチャイルドの癒しが出てくる。
〝あの頃の自分の氣持ちを理解してあげて、あの頃の小さな自分を抱きしめてあげましょう。〟
というヤツだ。

こんなもので癒されるか!とこういう話を見聞きする度に思っていた。

本当は親に思ってきたこと全てぶちまけたい。
でもそんなことしても認めるどころか烈火の如く怒り出すのが目に見えているし、仮に謝ってくれたとしてもそんなことで子どもの頃につけられた心の傷が癒えるわけがない。
わたしが望んでいるのはそういうことじゃない。
何度考えても、子どもの頃に戻ってちゃんとわたしの心に寄り添った対応をしてもらう以外、氣が済む方法はないし、それは絶対に不可能なこともわかっていた。
即ち、わたしにはこの問題を克服することは一生不可能だと思っていた。

こういう思いを長年抱えていたところに、ああ、この人は本当にわたしの氣持ちを考えられない人なんだなという決定的な出来事が起こった。
それまでは満たされない思いを抱えながらも母が大好きだった。だから愛されてないと認めること、母を嫌いになることへの勇氣が出なかった。
ずっと母に片想いしていたようなものだ。
親は無条件で子どもを愛してるという世間の価値感の刷り込みの中で、これらを認めるのは本当に怖いことだった。
それが出来た瞬間だった。

そこから3年一切の関わりを絶っていたが、なんの因果かまた今一緒に暮らすことになってしまった。

もちろん今の状況はこちらが全面的に迷惑を掛けているので申し訳ないし頼れる実家があることは有り難く思っている。けれど精神的にはきつい。
でも今こういう状況になっているのも、ここからまた親子関係や家族関係の問題について何か学ぶことがあってのことなのだろう。

今はまだそれについては全くわからないが。

とりあえず一度実家を出て、別の家族関係を持った後の視点で両親を見てみると、共感能力に乏しい人達なんだろうなというのは見えた。それでいて自分が正しいが強い人達なので、両親の仲も悪くなっているのだ。
もう少しお互いに歩み寄りとか感謝の氣持ちとか持てないものかなと思うが、この歳でこれではもう無理だろう。
それぞれがどんな子ども時代を過ごしたのかとか詳しくは知らないが、その中できっとなるほどと思うような経験があるのだろうと思う。

もうそこは本人達の領域なのでわたしが口を挟むことではないし、時代の価値感とか様々な要因が複雑に絡んでいる面もあるので仕方のない面もあるだろう。
でも本人達も少し考えを変えたらもう少し楽になれるだろうに、とは思う。

わたしの話なんて聞く耳を持ってないので一生言わないけれど。