題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

2022年の幕開け

 

2022年は激しい後悔と共に幕を開けた。
返事は求めない形の手紙を渡したから、もちろん返事はないんだけれど、今更ながら自分が何をしでかしたのかに氣付いたのだ。

山羊くんがお父さんのことで大変なのわかってて、あんな余計な負担を押し付けるようなことをして、全く相手のことを考えてなかった。
あまりにも自分勝手だった。
自分のことしか考えられなくて、よくも好きだなんて言えたものだ。

きっと凄く嫌な氣持ちにさせただろう。
信頼も失ったと思うし幻滅されたかもしれない。

こんなことに今更思い至った自分の馬鹿さ加減を呪い、特に1月2日は一日中心の中でひたすらごめんなさいを繰り返していた。

謝りたい。嫌な氣持ちにさせてごめんなさいと、それだけ伝えたい。
この謝りたいというのも自己満足なのはわかっている。それでも、謝りたい。
ふと、メールも着信拒否されてるかもしれないと思った。
もうそれも届かないかもしれない。


言葉選びもタイミングも最悪だった。
数年前からインプット一辺倒でアウトプットを全然していないことを危惧していたのだが、面倒な氣持ちが先に立って結局そのままにしていた。
自分の中に溜め込んでばかりいたから上手く外に表現出来なくなっていた。
その弊害がまさにここに出たのだ。

年末にどこかで見たことをこの年明けの後悔を感じてからすぐ実行に移した。
頭や心に浮かんだことを些細なことでもノートにメモしていく、というものだ。

ノートを書き始めたら段々自分の中が整理されていくのがわかった。
わたしは元々思考がうるさい質だし、もっと早くやればよかったとこれも後悔した。
自分の中でぼんやりしたまま放っておくものだから、いざ外部に向けて表現しようと思っても上手く言語化できなかった。友達と会話する時なんかにも度々感じていたことなのに、努力もせずに自分の脳はポンコツだからと諦めていた。

ノートも、綺麗に書かなきゃとかそういうつまらないことを氣にして今まで出来ていなかった。
誰に見せるわけでもないのだからと割り切ってとにかく書き始めてみたら、こんな簡単なことだったのに今まで手を付けられなかったのが本当に愚かしく思えた。

10代の頃は熱心に日記を書いていた時期もあった。あの頃は日々のことを書き留めておきたくて書いていたけれど、知らず知らずこういう効果もあったのかもしれない。