題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

6月14日・15日


6月14日
・過去、要らない情報まで搔き集めては後生大事に握りしめていたのも〝不安〟から。
自分で整理しきれない程のものを抱えていた。
昔のわたしの頭の中を例えるなら、机の上に書類や本、外部からのお知らせなど、手に入れた順に適当にポンポン置いていって全く整理せずにそのままにしていたようなものだろう。
片付けが苦手なのは外も内も同じことか。


6月15日
微塵も恰好付けてない、演出のない素の言葉を、きちんと伝わるように綴れるようになりたい。

・先月から二人の利用者さんの面談を担当させて頂くことになった。
今日の面談の際に表面的に心を占めている心配事と、その奥の深層の部分が露わになる瞬間を垣間見れ、その人の心の階層を感じ取ることが出来るようになってきたのを実感できた。

・先日Jちゃんと有意義な時間を過ごせてとても楽しかったし幸せだったけど、いくつかモヤモヤした点もあったのできちんと分析してみた。
そのお陰で自分の意識の変化が明確になった。
これも人と対話しないと得られなかった収穫だ。
 
◎(色んな物事に)感謝してる?と聞かれた時、言われたことの意味を理解するのに少し時間を要した。
このことにより感謝の念がもうデフォルト、基本ベースにある状態になっていることに氣付けた。
当たり前過ぎて何を聞かれているのか本氣でわからなかったのだ。
少し前までしつこいくらい感謝感感謝言ってたり思っていたのに、いつの間にかもうwざわざ意識に上がらないくらい基礎になっていたようだ。

◎共通の知人の愚痴を相変わらず聴かされて、わたし自身元々が他人に対して余分な興味が湧かない質だったのが、人との比較から解放された今はますますその感覚がわからなくなってしまって、今この場にいない人の問題点についてわたし達が話すことに何の意味があるのか、本人が望んでいるわけでも本人に伝えるわけでもないし、正直不毛な時間に思えてしまった。
Jちゃんは本当に尊敬できる点が多々ある素晴らしい友人だけど、そんな人でも日常的に思うところありの人と関わらざるを得ないと、こういう話をしたくなる思いも出てきてしまうものなのだろう。

この愚痴を言う心理について突き詰めて考えていったら、相手が自分より劣っている点を確認して安心する、そんな心理が人間にはあるのではと思い至った。
不安がベースにあると、こうやって人は自分を安心させているのだろう。
真に人と比べることをやめる、比較から解放されると、こういったことも必要なくなるのだろう。

・山羊くんの対応、やはり怖いくらい完璧な対応だったのだと改めて思う。
他のどのパターンでもここには辿り着けないのだから。

時間を置いたことでまず内観に向かえた。
その時間のお陰で直視したくない部分にも真正面からしっかりと向き合えた。
その後絶妙な頃合いできちんと断ってくれて、わたしの氣持ちが宙ぶらりんにならないようにしてくれた。

この一連の対応のお陰で、時間をかけ段階を踏んで大事なことを学べたし成長出来。
こんな完璧な対応ないよね。
他に思いつくどのパターンでも、わたしは立ち止まったままだっただろう。