題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

介護職員初任者研修を振り返る① 介護ロボットの誤解


まだ終わったわけではないので早い氣もするが、来週いよいよテストもあるのに未だ通うことで精一杯で家でテキストやノートを見直す氣力がないので、残りの生活の比重をそちらにもっていく意識作りも兼ねて、ここまで講習を受けてきて勉強になったこと、感じたことを残しておきたい。

前半7回の講習は座学だった。
わたしはテストに出そうなところかどうかよりもどうしても、講師の先生の実体験に基づく現実に即したお話や様々な豆知識、人の心理に関する単元なんかに特に興味を持ってしまい、その辺りの余計な書き込みばかりしながら受講していた。

 

最初の授業で印象に残ったのは試験的に介護ロボットを導入した時の利用者さんの感想だ。

先生は味気ないとか、温かみが感じられないとか、そういった感想がくるものだとばかり思っていたそうだ。
わたしもそう思っていたしあの場のほとんどの人が同じことを思っていたと思う。

ところが実際は、〝有り難うを言わなくていいのがラクだったそう。
かなり衝撃を受けたし先生もそうだったらしいが、その答えにより利用者さん側も介護されることに氣を遣い、疲れていた面があったことに氣付いたと仰っていた。

それを聴いてわたしもうちの事業所の片麻痺のSさんのことが頭に浮かんだ。

Sさんは自転車で自力通勤もしてほとんど自立している。
コーヒーマシンやポットのお湯を扱うことは無理なので、コーヒーを淹れることはお手伝いするのだが、それくらいだ。

そのコーヒーを持っていく時に結構な頻度で「いつもすいません。」と言われるのだ。
重々しい感じではないしこちらもいえいえと軽い感じで返していたが、そもそもそう言わせてしまうのが、ダメなんだなあと氣付いた。

わたし個人の接し方の話ではなくて、世の中で長年作られてきた空氣とか、これからどういう世の中になって何が当たり前になればこういう意識そのものがなくなるのかとか、そういったものについてだ。
多様性がどうちゃらとか、昨今耳障りのいい言葉が並べ立てられているが、真に目指すべきは究極どんな立場の人にも負い目なんて感じさせない社会を形成することではないだろうか。

まあ介護の世界の歴史をさらっと学んだだけでも、人権やら人間の尊厳やら、この2022年現在、だいぶ色々な考え方が進み改められてきたことがわかったし今も変化し続けている最中だろうし、今回のわたしのようにあちこちで一人一人が氣付いて行動を変えて…の積み重ねなんだろう。

いきなり世の中は変わらないので、まずは目の前の事だ。
わたし自身が今後はなるべくそういう言葉を出させないような接し方を心掛けようと思った。