題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

12月8日〜12月23日


12月8日
・今更ながら、自分の人生のベースが、〝拗ね〟だと氣付いた。
意にそぐわないことがあると拗ねている。
そこから自分なんていない方がいい、消えたい、存在をなかったものにしたい、という方向に思考が偏っていくのが長年のパターンだった。

この心理も細かく紐解いていくと、根底には周囲の人間に対してわたしがいなくなってから後悔すればいいだとか、良さに氣付けばいいだとか、そういったものが隠れてる。
多分結末がそういう話(創作物含む)に憧れがあって、無意識にこの思考を繰り返しているんだろう。

→そんなにそういう展開がいいと思っているならまずは自分が身をもって体験しろということで、家も物も世間一般的に安全な身分も時間もお金も好きな人さえも、何もかも無くす展開になったのだろう。
実際ここまでこないと氣付けなかったし。。

この思考の癖を矯正しないと。


12月10日
・自分を守れるのは自分 自分を幸せにできるのも自分

・自分でできることなのに人に頼ったり助けて欲しいと思うような甘えの欲求と
は、無条件の愛を貰ったことがない弊害で、試し行為の一種だ。

きっと今まで関わった全ての人に試し行為をしてきた。
頼っていい部分と自分でがんばる部分の境界が曖昧で、これも境界性パーソナリティ障害からくる歪んだ部分なんだろう。

身体の不調が続いているのもあるけれど、こういうことが自分の中で解けてきたのもあって、このところ氣分が晴れないのだろう。

・人に会いたくない、人と関わりたくない、という氣持ちの出所
→自分の人間性が恥ずかしいから
→でもここで自分の殻に籠ったら今までと同じ、何の解決にも成長にもならない
→ここからどうしていくべきか?

・この時期のネガティヴは埃の炙り出しというメッセージを貰って少し心が軽くなった。


12月11日
。親子関係のモヤモヤ
→そもそもわたしは、お母さんになりたいなんて望んだことは一度もなかったんだった。
だから皆みたいに子どものことに全力になれない、皆みたいな関わり方が出来なくて当たり前だ。
そこを比べて落ち込む必要はなかった。

・最近娘とうまくいかない、今まで見たいなことを繰り返さない為の打開策が見つからない。
→母娘という関係で考えるから固定観念が邪魔してる?
新しい関係性として考えると、道が拓ける氣がする。


12月16日
・先日の忘年会で、話すつもりではなかったことを話したくなる氣持ちが湧いてきたのでそれに従った結果、あの反応を引き起こしたので、今年の締め括りに相応しいお試しが起きたな、と今思う。

・〝意外と古風だね〟
この言葉を褒め言葉として好意的に捉えている人は多いと思うが、これもなぜかと立ち止まって考えてみれば大和撫子的な、男性が求める理想の女性像とか、その辺りの刷り込みの呪縛からきているのでは。
他人との比較だけでなく、そこかしこに用意された様々なロールモデルとも比較して価値基準にする世界が出来上がっていたのだろう。


12月17日
・愚痴に共感のつもりで一緒になって怒ることは、場合によってはその態度や言葉にまた傷つくことがある。


12月22日
・ヒーローものや世界を救う話が大衆受けするのは、災害や戦争も人々の集合的無意識が引き起こしていることの裏返し?
糸を引く存在がいるにしろ、それだけではなく、勧善懲悪な展開にスカッとするあの瞬間こそがそれを証明しているのでは。
→ヒーローになるには悪が必要。
光輝けるのは闇があるから。
だからこそ昔から多くの人があらゆる角度から考え、表現してきたテーマなのではないか。

タンタカタンタンタンタンメンを聴いてたらそんなことが浮かんできた。
このところのお氣に入り♪



www.youtube.com



12月23日
・引っかかったりモヤモヤする場面が過去から学ぶ、パターンを変えるターニンングポイント。
攻略法は今まで選ばなかった方法。