題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

春泥棒

四月のある日の帰り道、近所のお寺の桜が葉桜になってしまった頃にどこからともなく一枚だけ桜の花びらのようなものが舞い落ちてきたことがあった。

不思議なこともあるもんだなと思いながら帰宅して、一息つこうとYouTubeを開いたら、何故かおすすめに上がってたのがこの曲だった。


『春泥棒』ヨルシカ


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なんて奇跡的で美しい流れだろう!

今年の春はまさにこの歌詞通りの感覚で日一日と過ごしていた。
一日一日芽吹き、花開き、散っていく様子を存分に味わっていた。
こんなに時間をかけて、日々きちんと丁寧に季節を味わったのは多分初めてかもしれない。
その最中にこの曲を聴いたものだから、春が終わっていくのを名残惜しむ様子をこんなにも的確に表現した歌があるだろうかと圧倒された。

歌詞だけでなくメロディも、泣きたくなるような美しさで。

また絶妙なタイミングで素敵なものに出会えたことに感謝。


すべてが素晴らしいの一言に尽きるけれど、とんでもない表現だと衝撃を受けた一番の歌詞は


〝花開いた今を言葉如きが 語れるものか〟



ここだ。

あまりに凄まじい表現だと、受けたことのない衝撃と共に涙が出てきたほどだ。


時に言葉は無力だということ、わたしも最近朧げながら少しわかってきた。
それでも表現力を身に付けたいと願い、文字を紡ぐ。
そんなところを行ったり来たりしているところに、言葉でこう表して、それをあのメロディに、歌声に乗せて表現されちゃたまらない。

それでも、言葉にできないものは無理に言葉にせずそのまま大事にして、けれど言葉にすることを諦めたくない。
上手くまとめられないけれどそんな風に思った。


この曲では春=桜だろうけど、わたしは日々の通勤途中道端で見かける花々を一日一日こんな氣持ちで眺めていた。
こんなに綺麗なものを惜しみなく見せてくれる自然に感謝の、充実した春の日々だった。