題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

性懲りも無く


求人サイトを見ていても、やはり障がい者関係の募集に惹かれてしまう。
変わり種のB型作業所というか、野菜の水耕栽培が作業内容の施設の説明会の案内が
あったので参加してみることにした。

 


施設自体は魅力的だったが、説明会を開いている会社はいわゆる仲介会社で、実際に
雇用契約を結ぶのは障がい者採用枠を埋めたい企業からのオファーがあった場合に
そちらの企業と結ぶ、ということで、実際に仕事が始まるのは早くても年明け頃との
ことだったのでここも諦めた。
なけなしの貯金で私立の学費を全額払っているのだ、
時間的にも金銭的にもそんな余裕
はない。

一緒に説明を受けて今回は見送るとなった人が私の他に2人いたのだが、帰り際に
誰からともなく少しお話ししません?ということになって、近所の公園のベンチで
お話しした。

片方の人は今は事務をされているそうだが、人間関係が辛くて転職を考えることに
なったらしい。その方が、

「話聞いてて正直障がい者の人がやる方の作業がしたいと思っちゃった!」

と言ってきて、わたしも同じこと考えながら説明を聞いていたので少し盛り上がって
しまった。
やっぱり今の世の中に求められる諸々に、皆疲れてるのかな、と感じた。

数年前にどこかで見た書き込みがずっと頭の片隅に残っている。
今の世の中が求める普通とされる基準(主に社会生活でのスピードと質)が、健康な
働き盛りの30代男性を基準にしている、そこから少しずれたらもう出来ない人間扱い
でしんど過ぎる、というものだ。
本当にその通りだと思う。

確かにサービスの質が向上し、消費者側としては有難いが、逆の立場になったらきつい
だろうなとずっと思ってきた。
ネット通販はほとんど翌日に届くし、お店で店員の態度に不愉快な思いをするなんて
こともだいぶ前からなくなった。
この便利や快適さは、誰かのしんどさの上に成り立っているんだ。
こういったことを考える時もあるのに、結局またその便利さに頼る生活に戻っている。
自分でも矛盾しているなと思うけど。。

もうそこまで利便性を追求せずに、全ての人が人間らしいゆとりのある毎日を送れる
流れにシフトしていけばいいなと思う。