題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

アダルトチルドレン

 

一口にアダルトチルドレン(AC)といっても原因や程度は千差万別で簡単に語れる問題ではないが、わたしの場合は母親の無関心と姉弟間差別が主な原因だろう。

子どもの頃、弟との扱いの差に関しては何度か抗議めいたことをしたこともあったが、よくわからない言い訳でいつも煙に巻かれていた。
なんとなくモヤモヤはしつつも経済的にも何不自由なく育ててもらって、学費もかなりかかっただろうしホームステイにも行かせてもらって感謝しているし、やりたいことをやらせてもらって普通に愛されて育ったと思っていた。

時代的にも年頃になったら親より友達や彼氏に信頼を置いて、本音で話せるのはそういった人達になるのも自然なことだと思っていた。

元夫と付き合い始めた時に、なにかの話の流れで弟との扱いの差が酷いと話したことがある。弟は幼少期に病気で入院したり大変だったので、そういう事があるとずっと心配になっちゃうからそうなっちゃたんじゃないのかと、多分唯一と言っても過言ではないまともなことを元夫に言われて、その時のわたしにはない視点だったのでその言葉に救われた部分もあった。


もしかしてわたしってAC?と氣付いたのは子どもが2歳の頃、Amazon
あの有名な『毒になる親』という本の存在を知ったからだ。
レビューを読んでもしやと思った。けれど本自体を読む勇氣はなかった。
この頃既に夫が全くアテにならない、期待しないと心に決めた存在になっていたので、子育てで親と関われない環境にはなれなかった。
この本を読んだらもう親と関わりたくなくなるであろう予想がついて、怖かった。

幸い娘のことは初孫なのもあってとても可愛がってくれてるし、娘はわたしの実家が大好きなのでお正月や夏に実家に帰るのに氣まずい関係になるわけにはいかなかった。
幼稚園や学校の行事にも呼びたいし、せめて娘の小学校卒業までは表面上でも良好な関係を保っておく必要があった。

実際夫があんななので娘が小さい頃は実家や母にはとても助けてもらったし、専業主婦同士で平日氣ままに母とランチしたり買い物に行ったり娘と3人で旅行に行ったり楽しい時間も沢山過ごせた。
素敵な思い出も沢山ある。

でも子育てしていると、突然全く関係ない時に昔言われた言葉やされたことが蘇って、あれは冗談で済むことじゃないだろう、お腹を痛めて産んだ我が子にどうしてあんなことが言えるんだろうと、実際に自分の子という存在と関わって、初めてあれはおかしい、これもおかしい、といった過去が出てきて、そういうことに苦しめられた。
我が子自体はとても育てやすい子だったのだけど、こういう面で子育てが苦しかった。

子どもを産むまで全く予期してなかったことだし、子どもがいない人生だったら氣付かないままだったかもしれない。