題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

11月2日〜11月6日


11月2日
・夢ではっきり〝御前崎〟と出てきた。

どこだっけ…?って思って調べたら静岡だった。
あんなにはっきり地名が出てくる夢なんて初めて見たから氣になるけど、簡単に行ける場所じゃないなあ。。

・久しぶりに、山羊くんと初めて会った日からやり直したい氣持ちになった。
前はもしそうなっても同じこと繰り返すだけだと思ってたけど、今は、せっかくの御縁を正しく大事にしたい氣持ちしかない。

好きという氣持ちを丁寧に大事に抱えていたというのが錯覚だった、ということが、今はっきりとわかる。
大事にしていたのは、自分が傷つかないようにすることだけだったんだ。

・タイムリーな耳の痛い書き込みをネット上で見つけた。
 
 周囲の顔色は結局自分のために伺ってるだけ
 周囲の空氣を読むとは周りが困ってないか、何かできることはないかと配慮すること

まさに図星といったところだ。。


11月5日
・このところまた山羊くんのことを考えたり思い出してしまう。
だから今日は素直に好きだなーとうっすら想っていた。
うっすらね。


11月6日
・わかり合える人を探し続けてきたとずっと思っていたけど、そうではない?

最近、ネット上でもリアルでも、今まで考えてきたことや少数派の意見だろうと自覚があることでも同じ氣持ちや意見の人が結構いることがわかって、仲間だ!と嬉しかったはずなのに、今色々と深掘りして考えを巡らせていたら、生命に関する価値観とか、また更に少数派であろう考えが自分の中にはあることを発見してしまったし、むしろ真逆でどんどん誰ともわかり合えない孤独な道を自分で作り続けているのかもしれない。

わたしはどこに向かって何がしたいのか。

・今年やってきた学びの一つは、恋と愛の違い、恋はやはり性欲ありきで愛は別物だと解ったことから、性欲に頼らない本当の優しさや思いやりを身に付けることだと考えている。
以前の職場でのことだけどおばさんパートが若い男の子には妙に甘い様子を思い返し、異性に甘くなるのは男女問わずの現象で、根本は性欲からなる本能的にプログラミングされている行動なのだろうなとか、それとは逆に同性に厳しくなる(
ここでは仕事上で)のは、子どもが小さい頃、大人として子どもに注意するべき立場の夫が注意どころか一緒になってやらかしている、それに対してお前はこっち側だろ!とイライラしたあの感情に近いものがあるのでは?
要するに本来仲間だと思っていたのに逆にお荷物だったことが判明してキツイ態度になってしまうような。
ここを異性だと緩めることが出来るのだろう。

誰に対しても本当の愛を注げるようになるには、まずはあらゆる種類の下心
から離れないといけない、これを会得するための道のりなんだろうな。