題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

3月21日


・今日は帰り道でPritenderを聴いてて、泣くどころか微笑んでしまうくらいに変わっていて自分でも驚いた。
なんでこんなに穏やかなんだろうと理由を探ってみたら、このブログのページのタブが開いたままだったのを電車の中で見て、その時本文が少し見えて

〝ここに来ればいつでもあの頃の山羊くんに会えるんだ〟

なんて思ってしまって、でも凄く嬉しい氣持ちになれたからだった。
ブログを始めてよかった。
あれだけのかけがえのない宝物のような時のこと、やっぱり形に残しておきたい。

・今日は利用者のHさんに対して心が狭くなってしまった。
駄目だなあ、無償の愛の境地は遠いな。

Hさんの負の部分とか、心理が手に取るようにわかる。
もちろんあんな風に公の場でそれを表に出したことはないけど、内面の動きは同じことをしていたから解るんだと思う。
あの態度にイライラしてしまったのは、過去の自分が持ってたものに近いものを見せられているからだと思う。
先輩にも若い頃のわたしと似てるなと感じる部分があるし、周囲の人は自分を反映しているという話は、こういうことも指しているのかなと思った。

病気への配慮が必要な分迂闊なことは出来ないけど、解る部分があるからこそ少しでもHさんの意識が前向きな方向へ向かう手助けが出来るようになりたい。
仕事の成果も求めなきゃいけない部分があるから、そことの兼ね合いがなかなか難しいのだけど。

・夜急に、自分から不幸になりに行く心理がわたしの中にもあったことに氣付けたことを思い出して、改めて山羊くんの存在の
凄さを思った。
潜在意識という通常自覚出来ない領域にあった闇を引き摺り出してくれた、山羊くんとの関わりがなければきっと一生氣付かないままだった。
自覚がないのに潜在意識の影響している割合が9割だという。
これは生きるのが難しくて当然だ。

山羊くんに出会って事を起こさなければここに辿り着けないし、この突破口を開けなかった。
わたしが乗り越えるべき課題にどう考えても必要なことだ。

本当に本当に山羊くんの存在に感謝だ。