題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

父の日

またご無沙汰してしまい、氣付けばもう6月も下旬になろうとしている。

3月1日でブログを始めて丸1年だったから、絶対に記事を書きたいと思っていたのに。。

2月下旬から職場で色々とあり忙しくて、氣力が削がれていた。

書かなきゃ!という焦燥感と共に書くことはしたくないので、まあ、こういうタイミングはこれからもちょくちょく訪れるだろうけど、これも自分の氣持ちに正直にやっていく訓練の一環なのかもしれない。


さて、本題に入ろう。

今年は思うところあって本当にささやかなものだけれど、父の日の贈り物を買ったので、先程夕方に渡した。
そのままわたしはベランダに出て洗濯物を取り込み始めたのだけれど、突然涙が溢れてきて止まらなくなった。

直前に数年前から時々読んでいたブログを読んで、その人もご両親との間に色々あるようだが、このことろご両親が要介護状態になってしまったそうで、色々な思いを抱えながらもご両親の為に尽くし、でも報われない想いを吐き出していて、それらを読んでてその人の氣持ちが痛いほど突き刺さってきて泣きまくっていたせいで涙腺が緩んでいたのかもしれない。
涙の種類もよくわからない。
ただ、父の元氣な様子と、先のブログの方のお父様のお話との違いに余計刺激されたようだ。

というか、このところ出る涙は理由がよくわからないことが多い。

今日の涙は、幸いうちの両親はまだ元氣でいること、でもいつか介護状態になる時が来るかもしれないこと、もうこの実家の家族とは今生限りで頼むと思っていたけれど、そうだいぶ前に心を決めきったと思っていたけれど、いざ親の死に直面したら結局わんわん号泣してまいそうな予感がしてそれに恐怖を感じたからかもしれない。

そこから自分が死んだら娘とも離れてしまうことなどが過ぎって、なんだまだまだこの世に未練だらけだ、死は卒業式なのだから悲しむことではないなんて悟ったような氣でいたけど、全然ダメだなあ、と、でもなんだか凄く人間らしく思えて自分で自分にほっとするような感覚も湧いていた。


その後、こうやって心を揺さぶられて涙を流せること、そのことがとてつもなく幸せなことに感じた。
こうやって感情を味わえること自体がとても素敵なことなんだ。
特に涙が出るような心の動きと胸の奥や丹田の辺りが温かくなるような感覚を得られる瞬間は至福と言っていいだろう。

せっかく人間に生まれたのだ、どんな感情も味わい尽くしていきたい。