題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

自分を愛する


わたしの中のあらゆる問題に通ずることが、やはり自分を愛せないところに帰結するのだろう。
ここを解決しないことにはどうにもならない。
けれどいきなりネガティブな部分も受け入れるとか、自分の全てを認めるだとか、そんなこと出来るわけがないし最初はそういった言葉に拒否反応しかなかった。

でも変わりたい、細胞全部入れ替えるつもりで変わりたいと強く決意していたので、少しでも琴線に触れる言葉や考え方に出会ったらまずは素直にそれを取り込んで、自分の中に置いていった。
すぐに肚落ちする時もあれば当然タイムラグがあるものもあったけど、毎日毎日こんなことを繰り返していたら、本当に少しずつだけど今までそれこそきちんと見ることもせず乱暴に否定していたような自分の負の部分についても認めることができるようになっていった。

同時に、自分を褒めることも最初はムズムズしてとてもじゃないけど出来そうなかったが、余計なことは置いといてとにかくまずはやってみようと小さなことから始めていったら、こちらも抵抗が少しずつ薄れていった。
意識を変えるより行動を変えるほうが早い典型例だった。
自画自賛最高じゃん!笑まで意識が上がればもうこっちのものだった。




【ネガティブ思考からの脱却に役立った教え・言葉】

・ネガティブな感情があるのは悪い事ではない、まずはどんな感情もきちんと味わう、感じきることが大事。

そこから次の段階は、ある感情が湧いてきた時にはまずはその感情を観察する、そうすることで俯瞰して見られるようになる。ネガティブもポジティブも、どんな感情にも揺さぶられずに常にニュートラルでいられるようになる。

・(AC関連のブログから)ここまで頑張って生きてきた自分を褒めてあげよう。

・その時のあなたにはそれが必要だった。その時できる精一杯をしていただけ。

・罪悪感は不要な感情だから感じる必要はない

・自責の念と反省は別物。自責の念は一見内省していると勘違いしがちだが、自分責めをしているだけでこんなに自分を悪く思っているんだからもういいでしょという単なる甘えであり、具体案についてはきちんと考えていない、成長のない意味の無い行為。
してしまったこととそれに対する罪悪感は分けて考えて、行動そのものに焦点をあててどうすればよかったのか、次はどうすればいいのかを具体的に考えることが反省するということ。
こうすると氣持ちも早く切り替えられる。


今纏めながら改めて考えてみたが、結局ネガティブ思考とは防衛手段だったのかなと思う。結局これも自分可愛さからきていたのだと、今はわかる。
傷付きたくなくて期待するのをやめたり、最悪の事態ばかり想定しておいて実際は案ずるより産むが易しだったと安心したがったり、人から指摘や批判されるのを恐れて自虐ネタで予防線を張ったり、自分を守る為に身に付けてきた方法でいつの間にかネガティブ思考を強固なものにしていたのだ。

しょっちゅう自己嫌悪や無価値観を感じて自分を愛するとか出来るはずがないと思っていたはずなのに、自分で複雑に絡ませてしまった鎖をひとつひとつ
丁寧に解いていったら、実は自分を守っていたなんて。
やはり何事も表裏一体なのか。