題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

許すこと、とは


年末にママ友として縁が繋がった友人達との忘年会があった。


その前に、実は12月初旬に年金分割の手続きの為、また元夫と会った。


余談だがこの手続き、離婚届を出した翌日以降じゃないと受け付けてもらえないし年金事務所には二人揃って行かないとならない。
どうしても無理な場合は代理人を立てることもできるが、揉めまくった後の離婚ではそれすらもなかなかスムーズにはいかないだろう。

 

こうした状況を鑑みて、婚姻日が2008年4月以降なら3号分割で元配偶者の同意なしに自分一人で手続きが可能になったのだが、わたしの場合のそれ以前の6年分は合意分割でないとならない為、元夫に来てもらう必要があったのだ。
もちろん、あれだけ嘘を吐かれてきたのだから、当日本当に待ち合わせ場所で姿を確認するまでは氣が氣じゃなかった。

きちんと来てくれたことに安心したのも束の間、わたしが勘違いしていたのも悪いのだが年金事務所の人に説明を求める態度に以前のような感じが滲んでいたのでわたしもそれにイライラしかけた。
が、わからないことをわかった振りせず自分がきちんと納得できるまで聞くこの姿勢は、わたしもこれから自分の力で生きていく上で見習わなければいけないことだと考え、そうしたら昔のように元夫にイライラが向かなくなった自分に氣付いた。

前はとにかく他人様にそんな態度をとるな!という視点でしか見られなくて、こういう場面にうなるともう一氣に夫の存在を全否定、という風にしか思考が働かなかった。
その行動を取る理由はわかる、だけどその態度はよくないよ、というふうに分けることができなかった。
言い訳させてもらうとすれば夫の発達障害特有の衝動性や堪え性のなさからの行動に、こちらもそんなゆったり構えられる心持ちではいられなかったのがあるが。


そんな一件があり、今後は落ち着いた関係が築けるかなと思っていた矢先に、忘年会で年金分割がやっと終わったんだーなんて話をしたところ、きちんと謝罪はあったのか、〇〇するべき、などと二人から捲し立てられて、わたしの為に怒ってくれてるのはわかるけど正直その時のわたしはその怒りのエネルギーの方にうんざりしていた。
ママ友だから婚姻中の様子も全て知っている人たちだし、その頃のわたしなら確実に同じようにギャーギャー言ってたのだから二人の反応も至極当然なのだけど。


一度はそう思ったけれど、日が経つにつれ自分の中では許すというか、もう無に帰していたことなのに、やっぱり二人の言う通り本来はこうするべきだよな、おかしいよな、という〝べき思考〟が頭をもたげてきて、モヤモヤしたものを抱えたままの年越しとなった。


そして年が明けて最初に見たリーディングで、〝許さない〟というのはその許せない相手に自分のエネルギーを預けっぱなしで、相手に向かってエネルギーが漏れている状態であり、〝許す〟というのは預けていたエネルギーを自分に取り戻すことだから自己奉仕になるのだ、というメッセージを頂いて、また胸のつかえが取れて楽になれた。

全く自分一人ではそんな考えに思い至れないし、またベストなタイミングでメッセージを頂戴できて有り難かった。
と同時に、少し人から何か言われるとすぐ揺らいでしまうなんて、まだまだだなあと反省した新年の幕開けとなった。