題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

5月26日 恋愛とは・・・


『恋愛とは 自分軸と自己肯定レベルが露わになる実験』

こんな言葉に出会った。

本当にその通りだと思う。
今回のことでは、これを心底思い知らされた。

自分の内側が整っていなければ、相手が誰でも結局は上手くいかないんだろう。

 

元々の人生の希望としては結婚は28歳頃にしたかった。
その当時は勿論相手はその時の彼氏以外考えられなかったけど、本当に20代を独身で過ごしてたらその後何人かとの恋愛を経験していたかもしれないし、多分その頃の恋愛で人間性を成長させる人が多数なんだと思う。

そういう成長の機会もなく22歳で結婚してしまって、心が未熟なまますぐ子育てが始まってしまったから、今更こんな大きなツケに向き合わされている。


中学の時から4年半付き合った元彼とは、まさに共依存の関係だったんだろう。
当時は自分がACだなんて知らないし、普通に親に愛されてると思っていた。
でも自覚できない渇望感があったのだろう。
束縛タイプの彼氏に見事にどっぷりハマり、こんなにもわたしを求めてくれる人はこの人しかいないと、束縛を愛と勘違いしていた。

その証拠に、その次の彼氏は奇跡的にまっすぐな心の人で、だからこそ適切な距離感でいてくれたのに、付き合い始めは本当にわたしのこと好きなのかな、と物足りなく感じていた。
ここにもう歪みが表れていたのに。


数年前部屋の片付けをしていた時、わたしは小学校時代からの全ての貰った手紙を取っておいていたのだけど、その中に4年半の元彼からの手紙もあって読み返してみた。
当時あんなに愛されてると、大事にしていた手紙達が、こんなの全く愛じゃない!ととんでもないものに思えて一気に処分した。

去年は持ってきた荷物の中に心がまっすぐな元彼と短期間だけどやっていた交換日記があるのを発見して読み返してみて、自分の歪みが顕著に表れていたことに衝撃を受けた。
元彼がきちんとわたしを見ていてくれたことも良くわかった。
当時のわたしはどれだけそれを解っていたのか…。

せっかくのこの奇跡の御縁も、わたしの歪みのせいで自ら手を離してしまった。
結局は自分の内側が問題だったのだ。

日記を読み返した今は、もっと早い段階でわたしの方が振られていてもおかしくなかったな、とすら思う。

こうやって過去のわたしからのヒントもあったのに、全く活かせず更なる大自爆をしてやっと氣付くという。。

まあお陰様で、あちこちに思いもかけない仕掛けがしてある人生ってものが、やっと面白いと思えるようになれたけどね。