題名のない雑記帖

まだまだ道半ば。今はまだタイトルをつける時じゃない。

映画『幼な子われらに生まれ』


わたしもGYAO!が3月31日でサービス終了なことを嘆いている一人だ。
わたしは映画配信でお世話になっていたが、GYAO!のお陰で巡り合えた作品も結構あるから、今後そういった面白い出会いがなくなってしまうのが残念だ。

ふと思い立ってGYAO!を開いたそのタイミングでこれは!と思う作品に出会う…。
そんな偶然の贈り物を楽しんでいたのだ。
アマプラは何か違うんだよなあ。
やっぱりGYAO!ならではのラインナップが織り成す世界あってのものだと思う。

終了してしまうものは仕方がないので、それまでにできる限り映画を観ておきたいなと思って昨日開いてみると、この映画に初めて出くわした。


『幼な子われらに生まれ』こそ、この時に山羊くんと一緒に初めて観た映画なのだ。

sun33.hatenablog.jp


今再会したのも意味があるのだろうと、観ることにした。
あの日以来二度目の視聴だ。



びっくりするほど全く内容を覚えていなかった。
あの日どれだけ山羊くんに意識を奪われていたのか…笑



今改めて観て感じたことは、当時は当時なりの感想があったと思うけど、今はより多角的に、それぞれの人物の立場や視点により寄り添った見方が出来るようになったな、と思えた。
あとありきたりだけど皆、試行錯誤しながら大人になっていくんだな、とか。
子どもに助けられながら大人になっていくんだな、とか。


一人でごちゃごちゃ考えることが多いので、何かいい感じに力を抜いてもらえた。


それとこれは今回新たに生まれた氣付きだけど、ラスト近くで一人カラオケに興じる田中麗奈に部屋の外から小さく拍手を送るシーンを観て、わたしがいかに今まで人からの多くの氣持ちを受け取らずにきたのか、というようなことにも氣付かされた。

多分このシーンからこのようなことを感じるのはわたしだからで、他の人にはさっぱり理解できないと思う。
こういった見方が出来るようになったことも、今回面白い発見だった。


人生が長くなると自分だけの経験値の財産が増える。
そこと照らし合わせて、同じ作品、同じシーンから人それぞれの解釈や感想がどんどん広がっていくのだろう。
若い時はやはり共感できることへの比重が重かったように思う。
今は自分だけがわかっていればいい、が上手い具合にできるようになってきた。
もちろん共感し合う楽しさもそれはそれなので、楽しみ方の幅を広げられたようだ。